言霊の華 第530号

言霊の華 第五三〇号

『第二次パラオ鎮魂慰霊の旅を終えて思うこと』

 

一昨日パラオから帰国いたしました。この度は中々足を踏み入れることのできないアンガウル島に慰霊できたのが何よりです。ペリリュウ島に行かれる人は多いのですが、ペリリュウ島とアンガウル島を隔てる海峡は一変して波が荒く、小さな舟は危険なのです。

よほど天氣が安定し、波が凪(なぎ)状態でなければ渡れません。昨日まで荒れていたというパラオの天候は我等が入国した日(22日)から安定した穏やかな日が続き、途中一度も雨に降られませんでした。全ての行事が終わった最終日の夜、ホテルの部屋に戻った時、突如スコールが降ったのです。

パラオはとても遠い島で、成田空港からの直行便が廃止され、グアム乗り換えとなり、成田を朝出発し夜10時頃にホテルに到着という、丸一日がかりでの行程になります。アンガウル島は凪状態で、これは珍しいことと、ガイドの人が驚いていました。

アンガウル島では日本の守備隊一千二百名が玉砕したのです。島民も艦砲射撃と空爆で6人が亡くなりました。島民は「この島は神の島だから守られているので大丈夫」と言って、島から離れようとしなかったのです。

確かに渡ってみて判ったことですが、奇岩、大木に満ち溢れていたのです。それは丁度沖縄宮古の自然を思わせるものでした。

そういう奇岩、即ち日本で云う磐座(いわくら)を包み込むかのように巨木がその上に立っていました。そこにアンガウル神社が存在していたのです。 

そのようなご神氣が強いスポットがいたるところにあったのです。まことに神の島でした。

アンガウル島での鎮魂祭祀を終えた一行十四名は、次に一万五百人が玉砕したペリリュウ島に向かったのです。アンガウルでもペリリュウでも行く所、行く所で天の鳥船を斎行し、堀内明日香さんの歌の奉納が必ずあり、祝詞を皆で奏上しました。

この度は陸上自衛隊の元陸将補であった池田整治先生も同行され、共に深くて熱い涙の祈りを捧げたのです。どれだけ英霊たちが喜んでおられたか。一同号泣のしっぱなしです。

そしてオレンジビーチでは禊をし、日米双方の英霊たちを慰霊しました。アメリカの青年たちも多くが遠い南太平洋の島で亡くなったのです。オレンジビーチは大激戦の地で、海が血で赤く染まり、むしろアメリカ兵の戦死者が多かったのです。

今回のパラオの旅で氣づいたことがいくつかありました。それは日本兵のほとんどが生きて帰れないと覚悟を決めていたことです。「死に場所はここだ」と。

そしてもう一つ重大なことは、愛するもの(家族、恋人、ふるさと、国家)を守るための戦いは強いということ。

はたして欧米の連合国は愛の戦いだったでしょうか。欧米の有色人種支配を維持する覇権のための戦いだったのです。圧倒的軍事力と物量の下(もと)日本軍に襲いかかってきました。

当初アメリカの司令官は「こんな島、3日で制圧してみせる」と豪語していましたが、戦いはとうとう70日以上に及んだのです。それは硫黄島でも沖縄でも同じです。愛の戦いは強い。ペリリュウ島の司令官中川州男(なかがわくにお)大佐はこう述べておられます。「人は憎しみでもっては戦えない。愛のために戦うのである」と。

何故我々はパラオに行くのか。そこに国防と祖国愛の原点を観るからなのです。今回の旅は奇蹟、奇瑞(きずい)の連続でした。そこに神の愛と英霊の熱き祖国愛のメッセージが込められていたのです。

むやみやたらに行けばいいわけではありません。誰と行くのか、どのようなお参りの仕方をするのか。これが問われるのです。明日香女史の数々の奉納歌は祈りと化し、英霊の霊魂を深く癒したのでした。

合掌 かむながらありがとうございます

 

菅家 一比古

 

 

 

 

 

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