言霊の華 第532号

言霊の華 第五三二号

『「花」のある人になるために』

 

紫陽花(あじさい)が美しく目を楽しませてくれる季節となりました。紫陽花がとても美しいと私が実感したのはいまから十五年程前になります。

この年の1月、恩師中西旭先生が薨(みまか)れ、4月には我が母が逝き、6月には中西先生の弟子であり、教え子であった古神道の大先輩である小林美元先生が薨れました。

奈良で小林美元先生の葬儀を終え、東京の南荻窪の旧宅に帰った時、庭に咲いている紫陽花の前に立ち止まり暫く見入ってしまいました。

「何と美しいのだろう!それまで毎年のように何十回となく見て来たはずのこの花を、こんなに美しいと思ったことがあったであろうか。紫陽花は色を変えながら枯れて行く。この花の美しさを何故今迄氣づかないで生きて来たのか」

この年に入って三人もの大切な人を立て続けに亡くし見送った私でした。そこに命への郷愁、人生の儚き無常感と死生観が重なり、紫陽花の前に立ちすくんでいたのです。

人の一生もそうです。愛する人、敬愛する人との出逢い、そして別れ。その体験の積み重ねの中で人の心は変化し、彩りを変えながら成長していくのです。それも可憐に美しく。この年(歳)になってようやく紫陽花の美しさと価値が判るようになったのでした。

私の中にこの花が咲き始めたのです。ようやく一つになれた・・・。これが十五年前の私の体験でした。この体験は私の詩集「いのち旅ゆく」にもあります。

人はこの世に生れ落ちて多くの人や自然、物事に出逢います。しかしその多くは出逢っているようで実は出逢えていないのです。全ての現象は生命(いのち)の顕われであり、その生命を捉えた時、真実の出逢いを果たします。

仏教の世界でも、無情から無常に達した時、虚から虚空(こくう)に達した時、仏との出逢いを果たすと言われます。

何故神社参拜を続けるのか。最初は願い事ばかりをする祈りが段々と感謝そのものに変わり、「生かされて生きる生命(いのち)」「赦されて生きる生命」を知り、神の生命に纏(まと)われ、神の大生命の営みと延長線上に自分が在(有)るのだと実感できるようになります。

この時神と私が出逢った瞬間であり、大御心を生きようと決意するのです。我々が戦蹟を訪ね、靖国神社参拜するのは、祈りを捧げるのは勿論ですが一方的な祈りをするのではなく、英霊の声を聴くためなのです。

即ち出逢いを果たすため。神の願いが、英霊の願いが、私の本心からの願いになるために。だから我々の鎮魂慰霊は真剣そのものなのです。

八月十五日終戦記念日。早朝有志たちは靖国神社に集合し参拜後、奥多摩の滝で禊を斎行し、誓いをより本物にします。私の中に神々が、英霊たちが生き始めるのです。全てを魂で捉えた時、天地一切が私であり、私の味方です。

美しい花の季節。日々の喧騒、雑事、雑念を鎮め、しばし美しい花々、自然、神と向き合ってみて下さい。人と向き合うのもいいでしょう。「あなたの中に私が生きている。私の中にあなたが生きている・・・」天地一体です。

あなたの中にきっと花が咲くでしょう。「花のある人」とはそのような人のことを言うのです。

合掌 かむながらありがとうございます  

 

菅家 一比古

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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