言霊の華 第536号

言霊の華 第五三六号

 

『日本文化の根幹にあるもの ~梅雨の長雨に想うこと~』

 

梅雨の真最中です。長雨が続き西日本では大雨水害が相次いでいます。上皇様、上皇后様の平成の御代、被災地へのご心配が続きました。毎年のように訪れる大雨水害は、ここ最近激しさを増しています。

地球温暖化が進み、その為異常氣象が起き易くなっているのでしょう。大雨水害はきっと太古の昔よりあったのだと思いますが、それを現代のように異常氣象とは言わなかったし、認識もしていなかったに違いありません。

昔の人々は雨が降らなかったら神社や仏閣、山や森の霊地で雨乞いをし、長雨、大雨が続いたら龍神様を鎮めるための祈祷をしたのです。そこには常に大自然に対する畏怖、畏敬、感謝があり、それによって共同体意識による絆はとても強いものがありました。

皆でお祭(祀)をする。そこに神(自然)が動くのです。その最たるものが天皇陛下による11月23日の新嘗祭(ニワノアヘマツリ)でした。祭(祀)とは間釣のことで神と人間、自然と人間、人間と人間の調和とバランスを取ることにあります。

そのように日本人は大自然生命に包(くる)まれて今日まで来たのです。本当のエコロジーがここにあり、これこそ二十一世紀を照らす新文明の光となり、日本から発信されることになるでしょう。しかし近年、大自然に対する恩恵を忘却し、その調和とバランスが崩れ始めて来たのです。

日本文化の根幹にあるものは美しい自然の四季でした。日本女性の着物、家屋構造、和食、文学、茶道、華道、襖絵・日本画、子どもたちの季節ごとの遊び、桃の節句、端午の節句、年中行事、神社の祭り(春の大祭・秋の大祭)、大祓いの儀式、衣替え、どれを取っても全て四季がもたらしたものです。

日本の古典文学や、和歌、俳句に至っては、四季折々の夥しい数の語彙に満ち溢れ、外国人の識者を驚嘆させます。この繊細な表現力こそが「ものづくり」日本を創り上げたのでした。

私は京都嵐山、福島県安達太良(アダタラ)山の紅葉が大好きです。ところが最近、ここ二十年、若い頃魅了されたあの美事な美しい色彩が観られなくなったのです。理由は夏の異常高温が続き、葉っぱが焼けてしまうためとのこと。

日本文学の繊細な美的光景には紅葉は桜と共に重要な位置を占めて来ました。現在(いま)では四季の境界線がハッキリせずあやふやになりつつあります。春が来たと思ったら、いきなり夏に突入するようなことがここ最近多くなりました。

私のような暑がりは冬物の背広から春物に変わり、僅かな時を経て、いきなり夏物に変わります。春秋用の合い着が淋しそうに衣紋(えもん)かけに吊るされています。

四季の狂いは、まさに長い間培われてきた日本文学の危機と云えるでしょう。昔の人々は、五月雨(梅雨)や時雨(秋雨)の長雨に恨みがましいことは言いません。寧ろそれを美に変える芸術性を発揮しました。

旅人と 我が名呼ばりし 初時雨(はつしぐれ)

        松尾芭蕉

五月雨(さみだれ)や 大河の前に 家二軒

        与謝蕪村

良寛和尚は夜中中(よなかじゅう)降りしきる雨を見、雨の音を聞き続けたと言います。芭蕉も良寛さまも雨に「大いなるもの」の囁きを感じ取っていたのです。 

合掌 かむながらありがとうございます  

 

菅家 一比古

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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