言霊の華 第541号

言霊の華 第五四一号

 

『我々は愛されていた ~七十四回目の終戦の日に想うこと~』

 

明日、十五日は七十四回目の終戦の日を迎えます。同憂同志たちは早朝六時半に靖国神社に集合し、亡き英霊に祈りを捧げます。

十五日は富士山浅間大社奥宮(富士山頂)の例大祭の日です。御祭神はご存知、木乃花咲耶姫(コノハナサクヤヒメ)。大東亜戦争はこの母神の日に終了しました。 

沖縄戦は六月二十三日、沖縄の重要な伝統行事である海神祭の日に終了したのです。祭神は天照大神さま。やはり母神の日でした。 

傷ついた我が子を抱きしめるかのように「いいの、これ以上もういいの、あなたはよくやったのです」とでも仰っているかのように、母神に抱かれて全ての戦いは終わったのです。母神はずうっと耐えながら見ておられたのです。

前途有望で優秀な特攻隊員六千名を含め、大正生まれの七人に一人、大正後期生まれの四人に一人が戦死しました。英霊たちは愛する家族を守るため、ふるさとや国家を守るため、犠牲になられたのです。

パラオの鎮魂慰霊に二度参りました。ペリリュー島の司令官だった中川州男(なかがわくにお)大佐の慰霊碑があり、そこには「人は憎しみのためには戦えない。愛する者を守るために戦うのだ」とあります。本土に残してきている家族、ふるさとと自然、愛する日本、それを想い続け奮闘し、玉砕して逝ったのです。

英霊たちや、偉人、先人たちのことを知れば知るほど「私たちはこんなにも愛されていた、想われていたのだ」と、想いは強く募るばかりです。「申し訳ない、かたじけない、ありがたい」と涙が込み上げてくるのです。

果たして現代を生きる日本人はそのことを覚え、感じているのでしょうか。「自分さえ良ければいい、今さえ良ければいい」と安楽、快楽、享楽に耽(ふけ)っている姿は英霊たちの願いや想いとまるで真逆の生き方です。

後世に生きる我々は、先人たちからこの美しい日本を繋ぐことを託された筈。何故、靖国神社に参拝するのか。何故、戦蹟を慰霊するのか。何故、歴史や文化を学ばなければならないのか。それは「愛への氣づき」のためなのです。

「我々は愛されていた、想われていた」それに氣づくことに他なりません。氣づいた時、人は自分を大切にでき、人生を大切にできる筈。そして他者への愛、思いやりが生まれます。ひとりよがりや、独善的、無氣力な生き方などできないでしょう。

明日、深い感謝の祈りと誓いを有志と共に捧げて参ります。

合掌 かむながらありがとうございます  

 

菅家 一比古

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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