言霊の華 第542号

言霊の華 第五四二号

 

『決して忘れない』

 

お盆のこの時季、丁度終戦記念日があり、御先祖供養と共に英霊の鎮魂慰霊が重なります。テレビ、新聞等では毎年恒例の戦争特集が集中します。私はそのような番組は極力観る様に心懸けているのです。英霊たちの姿や想いを自分と一体にして取り込んでおきたいからです。

「決して忘れません」と云うのが私の誓いであり、信念であり、自分の生き方を決定しているのです。

靖国の杜にお参りし、頭(こうべ)を垂れるのも、沖縄に行くのも、知覧の富屋食堂、特攻記念館を見学するのも、パラオに鎮魂慰霊に行くのも全て、「忘れない!」ためだからです。

アサヒビールの故中條高徳先生は、陸軍士官学校から戦地に召集される寸前で終戦を迎えました。多くの同僚、先輩たちが戦死を遂げ「自分は何故死ねなかったのか、何故生きているのか」と自問自答を続けました。そして亡くなった英霊たちの為、生きて国家のお役に立とうと誓うのです。

そのことを忘れないため敢えて九段下に住み、東京にいる時は毎日早朝に靖国神社のお参りを欠かしませんでした。そして不振だったアサヒビールを見事キリンビールを抜いて日本一にしたのです。

戦後日本を復興させたリーダーたちは皆そうです。英霊たちのことを忘れなかったのです。「申し訳ない」その想いで働き続けた結果、日本を世界トップクラスの経済大国まで押し上げたのです。

私ども美し国では毎年英霊の鎮魂慰霊のため靖国神社参拜、富士登拜を必ず斎行して来ました。八月十五日の靖国神社参拜の後、奥多摩の滝での禊を恒例化しています。

それは「忘れない」を身体に落し込んでいくためなのです。そうすることにより英霊や先人や神々様と繋がり、それが「生き方」に現われてくるのです。戦後復興の原動力がそこにありました。

日本人は何故近年劣化し弱体化したのか。英霊たちや先人たちの願いや想いを忘れたからです。繋がりが切れているからに他なりません。

戦後しばらくの間、日本人は八月十五日喪に服し、家庭ではこの日水団(すいとん)を食べ、英霊を悼(いた)んでいました。それは「忘れない」ためでした。

「英霊に哀悼の意を捧ぐ」とはよく聞く言葉です。が、しかし八月十五日のセレモニーのためだけの空虚な言葉に思えてなりません。

哀悼の意を捧げるのであれば、何かを自らに課すだとか、何かを止(や)めるとか、犠牲にするだとか、具体的でなければならない筈。でなければ、それは「観念」でしかありません。

吉田松陰門下は松陰先生亡き後、観念が吹き飛んで皆一丸となって行動に移し、日本を変え始めました。愛国も憂国も観念である内は何も変わらないでしょう。松陰先生は楠正成公を心より慕い尊敬していました。観念を超え魂が動いたのです。

そういえば三島由紀夫先生もそうでした。英霊たちの姿と自分を一体化したことにより立ち上がったのです。

何故我らは八月十五日靖国神社参拜の後、奥多摩で禊をするのか。魂で英霊たちや、神々の声を聞き一体となり、それを行動のエネルギーに高めるためなのです。

合掌 かむながらありがとうございます  

 

菅家 一比古

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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