言霊の華 第544号を配信しました

言霊の華 第五四四号

 

『先人たちを身近な存在とするために』

 

世の中で一番身近な存在は家族だと多くの人は答えるでしょう。誰よりも多く接しているし、語り合っているからだとも言えます。しかし「いつも想っている」「いつも考えている」対象は家族だけではない筈。恋人であっても知人友人であっても師弟であってもそうです。

私の場合、それに加えて神々、自然、偉人や英霊たち等も身近な存在だと言えます。日々のお風呂場での祈りと禊。滝、海、清流での禊や数々のお山登拜では神々、大自然生命を身近に捉え、感動と感謝の連続でした。

偉人たちに憧れ恋をし、由縁(ゆかり)の地をどれだけ歩いたことか。そうすることによって、より一層身近な存在となって行ったのです。

戦蹟慰霊鎮魂の旅では英霊たちの魂が身近に迫り、それまでの観念でしか捉えていなかったものが吹き飛んでしまいます。パラオの鎮魂慰霊は二度に及んでいますが、二度目の時は一度目の時とはまた違う新たな氣づきと深い感銘をもたらしました。

訪れれば訪れる程、祈れば祈る程、英霊たちの想いや願いが鬼氣迫ってくるのです。「俺たちが信じた日本、俺たちが愛し願った日本、いま、それがどうなっているのか」とお叱りを受けているような氣さえしてくるのです。そこにははっきりと英霊たちの息遣い、氣配とまなざし、メッセージを感じ取ることができるのです。

八月の終戦記念日前後、多くのテレビ番組で毎年恒例の戦争特集が放映されます。今年もそうでした。中にはただ戦争の悲惨さだけを強調する偏向番組もありました。しかし一方でドキュメンタリー的な番組もあり、それらを録画したものを夏休中に家で観ていました。そして何度も涙したのです。

日頃から英霊たちを想い鎮魂慰霊をし続けている者にとって、それは他人(ひと)事ではなく自分の事としか思えません。私にとって英霊とは最も身近な存在なのです。

49年前、市ヶ谷で自刃(じじん)された三島由紀夫先生もそうでした。自ら「英霊の聲(こえ)」という映画を自主製作した程です。生前三島先生が日本の将来を案じ予言されていたことのほとんどが的中しています。

作家 司馬遼太郎は亡くなる前、「このまま行けば、日本は滅ぶのではないか」と夜中うなされていたと言います。

魂の高い人だからこそ判るのです。その危機感が迫ってくるのです。現在(いま)その危機感をどれ程の日本人が感じているのでしょう。「止むに止まれぬ大和魂」を共有し、救国に動いたのが幕末に出現した勤皇の志士たちでした。危機感がそうさせたのです。

あまりにも騒々しい現代文明。安楽、快楽、享楽に明け暮れ、「自分さえ良ければいい、今さえ良ければいい」とばかり燥(はしゃ)ぐ現代日本人。私はそのような世相にこの頃空(むな)しさを感じてならないのです。誰がこの日本を繋ぐのか、しかも美しい、立派な日本として。

先人たちの想いを冷静に受け留め、祈り、感謝し、少しでも世の中や国家のお役に立てられる人財に育つよう「志」と「誓い」を持たねばなりません。

それが美し国、菅家廊下翔塾の使命なのです。

合掌 かむながらありがとうございます  

 

菅家 一比古

 

 

 

 

 

 

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