言霊の華 第571号『エルトゥールル号・殉難の地を訪れて』を配信しました

今週の言霊の華 第571号は堀内明日香よりお送りさせていただきます。

 

 

【エルトゥールル号・殉難の地を訪れて】

 

先日の春分の日、私たち美し国有志は菅家先生の道彦のもと、伊勢神宮の正式参拝と五十鈴川での禊を齋行し、日本の蘇りと世界の平安を祈念して参りました。

 

日の本の民はお伊勢さまを頂いております。第10代崇神天皇様の時、それまで皇居の中で祭祀をしていた天照大御神様を、近くの倭笠縫邑(やまとかさぬいむら)にお遷しし、皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめ)がお世話をされたのがお伊勢のはじまりです(現在は檜原神社)。

 

そこから21番目のお伊勢が現在の伊勢神宮。お伊勢は2000年以上続いております。どんなに時代が変わろうとも、世の中が変化しようとも、お伊勢は昔のまま粛々とそのご神事は続いてきたのです。日本の歴史をみても多くの仏閣が焼き討ちにあったりしましたが伊勢神宮をはじめ、神社の焼き討ちがあったとは聞いたことがありません。

 

 

そして伊勢参拝の翌日から熊野へ入り、かねてから一度は伺いたいと思っていた紀伊半島最南端で起きたエルトゥールル号遭難事件の現場、和歌山県串本町へ行って来ました。

 

明治23年(1890)年6月、トルコ皇帝特派使節として来日したオスマン・パシャ以下650余名の将兵を乗せた軍艦エルトゥールル号が、我が国との修交の使命を果たして帰国の途中、9月16日夜、熊野灘で暴風雨に遭い、串本・樫野埼(かしのざき)灯台下の岩礁で難破。痛ましくも587名の将兵が殉職、生存者は69名でした。

 

実は日本側は9月は台風がよく発生するので航海は危険だと、出航を見合わせることを勧めていたのでした。しかし、出航から2日目の9月16日、不安が的中するかのようにエルトゥールル号は和歌山県沖、熊野灘で暴風雨につかまり、同夜ついに大島村(紀伊大島)樫野崎の断崖下で岩礁に激突してしまいました。

 

 

この事故に際し、当時の大島の島民は全村を挙げて生存者の救助介護、殉職者の遺体の捜索、引き上げにあたります。また、寒さに震えている兵士達を島民の女性達が地肌でくるんで温めて上げたのでした。各戸に蓄えられた食料も、衣料の一切が生存者のために提供されました。

 

また、この悲劇に心を痛めた明治天皇は、軍艦「比叡」と「金剛」に生存者69名を乗せ、トルコ政府に弔意とエルトゥールル号派遣の謝意を表すため、イスタンブールへ派遣しました。さらに日本全国からの義援金が集められ、トルコの遺族たちに届けられました。これにはトルコ国王をはじめ国民が大きな感動を受けたのでした。

 

 

時は流れて、昭和60年(1985)年、イランイラク戦争の真っ最中、イラクのサダム・フセイン大統領は『今から48時間以降にイラン上空を飛ぶ飛行機は全て撃墜する』と発表。世界各国から自国民保護の救援機がイランへ飛びましたが日本政府の対応が遅れ、イラン在住の日本人はパニックに陥りました。

 

タイムリミットまで残り数時間。そこへトルコ政府の救援機が2機飛んで来て、逃げ遅れた日本人215名全員を乗せてテヘラン空港を脱出したのです。トルコが特別機を派遣した理由の一つがトルコ人の親日感情。その原点となったのが95年前のエルトゥールル号の海難事故だったのです。

 

 

エルトゥールル号の海難は誠に痛ましい悲劇ではありましたが、その来航により開かれた両国の絆は、友情と博愛の精神によって両国民の心により深く根付いたのです。厳しい生活環境の中で貧しく生きていた島民達が、自分を省みず他者の為に捧げ尽くしたその姿にこそ、本当の日本精神があるのではないでしょうか。

 

『他者の為に生きる』

 

他者貢献こそ日本人として自然に出来る行為だったのだと、つくづく思い知らされた今回の訪問でした。

 

かむながらありがとうございます。

 

菅家廊下翔塾・助彦

堀内明日香