2018/12/26 言霊の華 第五一一号を配信しました

言霊の華 第五一一号 『天皇陛下の祈りと涙に生かされて』

十二月二十三日の誕生日(天長節)で八十五才になられた天皇陛下は、御会見で何度も声を震わせ涙を堪えておられるようでした。昭和天皇陛下の時もそうでした。御在位六〇周年の奉祝祝賀会では両目から涙が頬を伝っていたのです。

それを私は写真週刊誌で見て号泣したのです。どれだけお辛い道のりだったか。その涙の立体的意味を知った私は「昭和陛下に謝りたい」と強く思ったのです。そして決意した私は昭和陛下に誓いました。恩返しの為にも「美しい日本の再建」をと。

それからお命日の一月七日は武蔵野御陵参拜を欠かしたことはありません。私にとって昭和陛下の武蔵野御陵参拜は、原点に戻れる大切な聖地であり時間なのです。

愛には「復元力」が伴います。どんなに人間が馬鹿をやっていても横道に逸れていたとしても、母や親の涙と祈りによって必ず元に戻ると言う法則性があるのです。それが「愛の復元力」と呼ばれているものなのです。

昭和陛下、今上陛下は日々我々の為に祈られていたのです。思われていたのです。即ち、我々は愛されていたのでした。それを知った私は、だからこそ、美しい日本の再建のため立ち上がったのです。

愛への氣づき。氣づいた人は実に強い。欲から切り離され、捨て身でかかって行きます。それはイエスと弟子たちの関係もそうでした。イエスの生前、弟子たちは実に愚かであり弱虫でした。とうとうマクダラのマリア以外の弟子たちは師イエスを裏切ります。

しかし、十字架上のイエスは息絶え絶え神に取り成します。

「主よ、主よ、彼らを赦したまえ、彼らは何も知らないのです」と。

その姿を三時間にも及び、泣きながら見続けて来た母マリアとマクダラのマリアが、ホームで肩を寄せ合い怯えていた弟子たちに一部始終を伝えます。

てっきり主イエスは自分たちのことを怨み、呪(詛)い続けて死んで逝ったに違いないと思い込んでいた弟子たちに驚きが生じます。そして氣づきが生まれます。

「我々は主イエスから愛されていた、祈られていた」と。

そして愛への氣づきが弟子たちを一変させます。

死を怖れないほどの強い弟子たちへと変貌を遂げるのです。十二弟子の内「ヨハネによる福音書」のヨハネ以外十一人の弟子は、いずれも皆殉教します。そしてそれによってキリスト教が世界宗教として今日あるのです。

今上陛下の咽(むせ)ぶような会見を聞いて心ある日本人なら感じた筈です。「今上陛下に申し訳ない」と。今上陛下はどんなに国民第一で考え、思われ続けてこられたか。

「平成」とは名ばかりで、最初から最後までそれは「茨(いばら)の道」だったのです。今上陛下、昭和陛下に限らず「天皇の道」とは皆そういうものなのです。ヨーロッパ王朝との決定的違いは国民一人ひとりの痛み、怒り、悲しみ、辛苦がその心身を透過し不二一体となり、同魂、同苦となられることです。

「天皇は神聖にして侵す可からず」は誤りで、天皇は神聖だからこそ侵され続ける御存在なのです。キリストの愛のように。如来の誓いのように。いえ、それ以上なのかも知れません。

合掌 かむながらありがとうございます

菅家 一比古

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